最近話題になっている「お米券」配布について、
「意味がわからない」「現金でいいだろう」という声が多い。
この違和感は正しい。
ただし、この政策は国民目線で設計されたものではない、という点を理解すると構造が見えてくる。
結論から言うと
お米券は“最適解”ではなく、“官僚制約をすべて満たした結果の消去法”である。
なぜ現金給付ではないのか
技術的にも実務的にも、
マイナの紐づけ口座への直接振込が最も効率的で合理的だ。
それでも現金給付が避けられる理由は、経済理論ではなく官僚側の心理と制度にある。
-
一度現金を配ると「次も配れ」という前例になる
-
恒常化への圧力が生まれる
-
財務省はこれを「財政規律の崩壊」と認識している
正しいかどうかは別として、
彼らはこれを極端に恐れている。
なぜ「米」なのか
この政策が農水省案件である以上、
対象を米以外に広げることはできない。
-
所管が崩れる
-
予算根拠が消える
-
省庁の存在意義が揺らぐ
つまり、農水省が動く=米に限定される。
なぜ政策として歪むのか
家計にとって、支出の財布は一つだ。
-
米代
-
光熱費
-
家賃
これらはすべて同じ可処分所得から出ている。
したがって、用途限定の支援は経済合理性が低い。
これは経済学の教科書レベルの話だ。
それでも「お米券」が選ばれたのは、
-
現金ではない
-
用途が限定されている
-
一回限りに見える
-
所管が明確
という、官僚側にとって都合のいい条件をすべて満たしているから。
高市路線との関係
重要なのは、この政策を
「高市総理の経済政策そのもの」と誤解しないことだ。
これは、
-
縦割り行政
-
財務省の恐怖
-
与党内調整
の妥協点として出てきたものであり、
構造改革や積極財政を志向する高市路線とは本質的に異なる。
むしろ、
トップが強くないと官僚主導の“小手先政策”が自然発生する、
その典型例だといえる。
まとめ
-
お米券は国民のための最適設計ではない
-
官僚制約を満たすための消去法の産物である
-
経済合理性は低いが、官僚満足度は高い
-
高市路線と同一視するのは誤り
問題は政策単体ではなく、それを生み出す構造にある。
この構造を理解せずに「バラマキだ」「意味がない」と批判しても、
何も変わらない。
この問題について直接的な解はない。
官僚の行動原理と政治のパワーバランスを少しずつ更新していくしかない。
今できることは、「表層に踊らされずに本質を見つめること」。これだけである。