1. 問題の所在は「世代対立」ではない
現在の社会保障や財政運営を巡る議論は、しばしば
「高齢者優遇 vs 将来世代負担」という倫理対立として語られる。
しかし、これは本質ではない。
実態は、世代間の利害調整の失敗ではなく、
時間軸を扱えなくなった統治機構の制度的劣化である。
立法・行政は特定世代を意図的に優遇しているのではなく、
「今この瞬間を破綻して見せない」ことを最優先に、
規律を侵しながら制度間のバランスを崩してきただけだ。
2. 保険制度に税を混入させた瞬間に起きたこと
年金・医療・介護は、本来 保険数理に基づいて閉じる制度である。
将来債務と保険料収入、運用益を数理的に対応させることで、
制度としての持続性と契約的正当性が担保される。
しかし実際には、
が「破綻回避」の名目で常態化した。
ここで問題なのは 金額の大小ではない。
致命的なのは、
本来は別枠で行うべき国家補填を、
保険制度そのものに組み込んだこと
である。
この瞬間、制度は以下を失った。
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契約関係の明確性
-
責任主体の可視性
-
将来世代への説明可能性
これは倫理的失敗というより、設計上の放棄だ。
3. 「別枠補填」と「制度内注入」は同じ金額でも意味が違う
仮に体制維持のために実質的な公金投入が不可避であったとしても、
取るべき手段は 別枠での補填・支援だった。
別枠補填は、
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例外であることが明確
-
政治判断として記録される
-
失敗や限界が可視化される
一方、制度内注入は、
-
保険原理を破壊する
-
原資と債務の対応関係を曖昧にする
-
将来に不透明な負担を残す
数値は同じでも、未来に残る意味はまったく異なる。
4. GPIF運用益転用・年金間転用が示す無秩序
近年見られる、
-
GPIF運用益の別目的転用
-
厚生年金から国民年金への資金移動
-
社会保障間の恒常的な横断補填
は、方向性以前に 制度論として破綻している。
これは、
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資産と負債の対応関係の切断
-
リスクとリターンの帰属不明化
-
数理検証不能な運営
を意味する。
もはやルールは「守るもの」ではなく、
都合よく解釈されるものに格下げされている。
5. 「未来志向」に見せかけた現在逃避
GPIF運用益を原資にSWFを構想するような議論も同様である。
これは長期国家戦略ではなく、
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将来債務を無視した資産の二重使用
-
規律なきレバレッジ
-
その場しのぎの装飾的構想
に過ぎない。
結果として行われているのは、
「今だけ乗り切れればいい」という
能力不足型の統治
であり、理念でも思想でもない。
6. 結論:これは世代対立ではなく、設計破綻である
現在の社会保障・財政運営の問題は、
といった単純な倫理対立ではない。
時間・責任・数理を扱えなくなった国家設計の崩壊である。
体制維持のための公金投入そのものを否定する必要はない。
だが、
制度に混ぜた瞬間、それは怠慢になる。
この一点を曖昧にしたままでは、
どれほど言葉を飾っても「未来志向」にはなり得ない。
結論:救済は否定しない。だが、制度は混ぜない
社会保障制度が現時点で数理的に成立していない以上、
運営上の補填や支援が避けられない局面があることは否定できない。
しかし重要なのは、その補填をどの枠組みで行うかである。
本来、年金・医療・介護といった社会保障は、
保険数理に基づいて設計・運営されるべき制度であり、
税は国家が政治判断として投入する 別枠の救済手段である。
両者を混同し、
「足りないから」という理由で保険制度そのものに税を組み込むことは、
制度の持続性を高めるどころか、
責任の所在と時間軸を不透明にし、将来世代への説明可能性を失わせる。
「足りないから死んでくれ」という結論は乱暴である。
だが同時に、
「成立していないから、今は税で補填している」
という事実を 明確に可視化することは、
統治として不可欠な誠実さである。
これは即物的な解決策ではない。
しかし、制度の意味を守り、
将来に修正可能性を残すという点で、
あらゆる政策分野に波及効果を持つ 設計思想上の解答である。
救済は行う。
だが、制度は守る。
混ぜないことこそが、未来に対する最低限の責任である。