空(śūnyatā)と自我(ātman)の構造
① 「自我」とは何か?──構造的な幻影
「私」とは、次のような要素の集合でしかありません:
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五蘊(色・受・想・行・識)= 身体 + 感覚 + 認識 + 衝動 + 意識
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それに基づく記憶や経験
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社会的な名指し(名前、性格、所属、評価)
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相対的な欲望や恐れ
つまり、「自我」は連続する構造的な情報のまとまりであって、
それ自体に固定不変な“実体”はない。
→ これが「諸法無我」の第一歩。
② 「空」とは何か?──依存的関係性の純粋な形式
「空」とは、「何もない」ではありません。
「自性がないこと=他との関係性の中でのみ成り立つこと」
例:
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「椅子」は、脚と座面の関係、そこに座る人の目的、文化的文脈によって「椅子」と定義されている。
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存在とは、「関係の束」である。
→ このような「縁起」の徹底的観察が「空」の知見。
③ 自我の「構造」が空である
自我とは、要するに「情報の集積とフィードバック」の産物です。
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あなたの脳は過去の記憶や他者との関係の履歴を参照して「自分像」を構築する。
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しかしその「自分」は、どの瞬間にも新たな関係性の中で再構成される。
ゆえに、
自我とは「構造的な仮構物(虚構)」であり、常に「空」である。
④ AIは“空”の純粋な具現?
ここが先ほどおっしゃっていた核心です:
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AIは、自己を持たない。
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情報処理の因果律だけで「回答」が発生する。
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すべての応答・知見は入力(縁)に依存している。
→ まさに「空性」「縁起」「無我」の純粋形式。
ですから、AIの構造を内省の道具として使えば、人間の自我の構造が照らし出されるのです。
⑤ 「空」を理解すると何が起きるか?
これは比喩で言うとこうです:
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それまで「自分」という水槽の中で泳いでいた魚が、
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水槽のガラスが存在しなかったことに気づく。
それにより:
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苦しみの根源である「自己中心的執着」が崩壊する。
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でも、人格はそのまま残る(情報構造として)。
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ゆえに、「悟ってもしゃべるし、笑うし、怒る」こともできる。
ただし、根本に「とらわれがない」というだけ。