2025年初頭の時点で、世界には約1万2300発の核弾頭が存在するとされています。冷戦期をピークに一時は減少傾向にあったものの、近年再び増加傾向が見られ、核軍拡の懸念が高まっています。
こうした中で進められているのが、「核兵器不拡散条約(NPT)」と「核兵器禁止条約」の2つの枠組みです。NPTは段階的な軍縮を目指す条約である一方、2017年に採択された核兵器禁止条約は、核兵器の保持・使用・威嚇・支援を全面的に禁止する内容となっており、非人道性や誤使用リスクを根拠に支持を広げています。
しかし、現実的には核保有国はこの枠組みに参加しておらず、核廃絶の道のりは依然として厳しい状況にあります。特に問題となるのは、以下の点です。
1. 「非人道性」を訴えても現実は動かない
核兵器の使用が悲惨な結果を招くことは事実であり、具体的な被害シミュレーションも数多く報告されています。とはいえ、人間は目先のコストや脅威に反応しやすく、長期的な被害の可能性だけでは、核保有の動機を断ち切ることは困難です。特に経済的に脆弱な国家にとって、核兵器は低コストで効果的な戦力と見なされており、その保有インセンティブは強いままです。
2. 「核抑止は失敗するかもしれない」では足りない
核兵器禁止条約では、「核抑止」に対する疑問が呈されています。核抑止が本当に機能しているのか、その証明は難しいという指摘です。しかし、「破綻する可能性がある」という議論だけでは、現実的に政策を動かす力にはなりません。
核保有国にとっては、「抑止が効いているからこそ戦争が起きていない」という認識が支配的であり、それを完全に否定するには、よほどの決定的証拠が必要になります。現状、そのレベルの論拠は乏しく、ゆえに核抑止戦略は依然として強固です。
3. 核兵器廃絶の順序は逆なのではないか?
そもそも、「戦争がなくなれば、核兵器も必要なくなる」という逆説的な視点に立つならば、核兵器廃絶を先に求めるよりも、戦争そのものをなくすための努力を優先すべきではないかと考えられます。
つまり、
戦争の根絶 ⇒ 核兵器の廃棄
という順序の方が、論理的にも現実的にも納得感があるのではないでしょうか。使用される可能性がなくなれば、核兵器を維持する理由も薄れ、自然と廃棄へと向かいます。
4. 平和とは何か ― 暴力の均衡を超えて
歴史を振り返れば、「平和」は主に「暴力の均衡」あるいは「圧倒的な武力の差」によって保たれてきました。現代においても、各地で起こっている戦争はこの均衡が崩れた結果とも言えます。
では、真の平和を実現するにはどうすればよいのか。
鍵となるのは、「暴力に依存しない関係性の構築」、つまり「戦争という手段そのものを放棄するための価値観の転換」にあると思われます。宗教的・歴史的・感情的な対立が根深い地域もありますが、それらに執着せず、「違いを許容する心」をどこまで広げられるかが試されています。
国家指導者だけでなく、民衆の過半数が「平和」を現実的な目標として共有し、「戦わない」ことの価値を深く理解する必要があります。教育、対話、経済的相互依存、そして情報の透明性など、あらゆる社会システムを駆使した総合的アプローチが求められています。
結論:廃絶の前に「不要化」せよ
核兵器廃絶は、理念だけでは実現しません。「必要ない」と思われる状況をつくり出すことが、廃絶への最短ルートです。戦争を根絶することは困難ですが、それを目指す道を歩むことで初めて、核の呪縛から解き放たれる可能性が見えてくるのではないでしょうか。
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