はじめに
私がこの思考に至ったとき、私は何者でもなかった。
知識は独学で、学歴も肩書きもなく、誰も耳を傾けてはくれない。
けれど、私は社会の構造を見て、経済の振る舞いを観察し、自分の頭で問い直した。
それは誰のためでもない。
ただ、「なぜ人は豊かになろうとするのに、世界は苦しみに満ちているのか」という問いが、消えなかったからだ。
経済の三つの本質
私の見立てでは、現代経済には以下のような構造的な志向性がある:
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無限の生産性(搾取)を志向する
経済は常に「もっと効率的に」「もっと安く」「もっと早く」を追い求める。
その果てにあるのは、人間の限界を無視した搾取、環境破壊、そして“無限の成長”という幻想だ。 -
現時点の利益最大化を志向する
企業は株主に応え、国家は選挙のスパンで動く。
未来の持続性より、いま目の前の数字を優先する。
この短期的な合理性の積み重ねが、長期的な破綻を招いている。 -
局所最適化を志向する
個人、企業、国家がそれぞれの利得の最大化を目指すと、全体としては非効率になる。
市場は万能ではない。相互調整を欠いた「合理的行動」は、社会全体に歪みを生む。
なぜこの構造に気づけたのか
私は学問としての経済学を学んだわけではない。
けれど、「目の前の現実」と「人々の語る理屈」が噛み合っていないことに気づく力は持っていた。
誰もが当然のように信じている前提を疑うこと。
それこそが、実践経済学者の第一歩だと思っている。
最後に(未来の自分へ)
もし、これを数年後の自分が読んでいるなら、思い出してほしい。
誰にも認められず、誰にも頼れなかったこの時期に、
それでもあなたは経済の本質を見抜こうとしていた。
この時の眼差しを、決して手放すな。
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