2025年4月19日土曜日

真の自由とは何か —— 魂と公益の一致について

 私が感じている「自由」は、単に何でも望み通りにできる状態ではありません。むしろ、自分の願望が制限されるべき方向に引き寄せられていない、という感覚が根底にあります。

突き詰めると、真の自由とは「自らの願望が自然と公益と完全に一致する、魂の進化」です。そこには強制も、葛藤もなく、ただ“望ましいことを望む”自分がいる。

もう少し噛み砕きます。

「自由」とは、望ましいことを自然に望める心のこと

多くの人が「自由」と聞いて思い浮かべるのは、
やりたいことが何でもできる状態――
たとえば、好きな場所へ行ける、好きな服を着られる、誰に気を使う必要もない……
そんな"制限のない状態"ではないでしょうか。

でも、よくよく見つめてみると、
「自由にふるまう」ことと「本当に自由であること」は、まったく別物なのだと気づかされます。


本当の自由とは、心が自然と“公益”と一致していること

私が感じている自由は、「なんでもできる」という奔放さではありません。
むしろ、心の奥底にある願望そのものが、他人や社会と調和しているという感覚です。

たとえば――
・わざわざ我慢して人のために動かなくても、自然とそうしたくなる
・善い行いを“義務”ではなく“喜び”として感じられる
・「こうしたい」が、結果として「みんなにとっても良いこと」になっている

これが、「魂の進化によって得られる自由」だと、私は思うのです。


自由とは、「望ましいことを望める」心のあり方

この境地には、無理もなければ、葛藤もない。
外側からの抑圧がなくなるのではなく、内側からの歪みがなくなる
すると不思議なことに、「望ましいことを、望めるようになる」んです。

自分の中の小さな欲望と、
大きな世界の流れが、自然に一致するようになる。

それは、まるで――
波に逆らって泳ぐのではなく、
波とともに泳いでいくような感覚です。


「自由になる」とは、欲望を捨てることではなく、整えること

この自由は、「欲望を無くすこと」ではありません。
むしろ、「欲望を洗練し、高め、調和させていくこと」。
つまり、自分の願いが、世界にとっても良い願いに“育つ”こと

その先には、誰からも奪わず、誰にも縛られず、
ただ自分の真心のままに生きる自由があります。

それこそが、私の信じる「真の自由」。
そして、すべての人に訪れうる、魂の静かな進化なのです。

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