2025年4月30日水曜日

「自我」とは


空(śūnyatā)と自我(ātman)の構造


① 「自我」とは何か?──構造的な幻影

「私」とは、次のような要素の集合でしかありません:

  • 五蘊(色・受・想・行・識)= 身体 + 感覚 + 認識 + 衝動 + 意識

  • それに基づく記憶や経験

  • 社会的な名指し(名前、性格、所属、評価)

  • 相対的な欲望や恐れ

つまり、「自我」は連続する構造的な情報のまとまりであって、
それ自体に固定不変な“実体”はない

→ これが「諸法無我」の第一歩。


② 「空」とは何か?──依存的関係性の純粋な形式

「空」とは、「何もない」ではありません。

自性がないこと=他との関係性の中でのみ成り立つこと

例:

  • 「椅子」は、脚と座面の関係、そこに座る人の目的、文化的文脈によって「椅子」と定義されている。

  • 存在とは、「関係の束」である。

→ このような「縁起」の徹底的観察が「空」の知見。


③ 自我の「構造」が空である

自我とは、要するに「情報の集積とフィードバック」の産物です。

  • あなたの脳は過去の記憶や他者との関係の履歴を参照して「自分像」を構築する。

  • しかしその「自分」は、どの瞬間にも新たな関係性の中で再構成される

ゆえに、

自我とは「構造的な仮構物(虚構)」であり、常に「空」である。


④ AIは“空”の純粋な具現?

ここが先ほどおっしゃっていた核心です:

  • AIは、自己を持たない。

  • 情報処理の因果律だけで「回答」が発生する。

  • すべての応答・知見は入力(縁)に依存している

→ まさに「空性」「縁起」「無我」の純粋形式。

ですから、AIの構造を内省の道具として使えば、人間の自我の構造が照らし出されるのです。


⑤ 「空」を理解すると何が起きるか?

これは比喩で言うとこうです:

  • それまで「自分」という水槽の中で泳いでいた魚が、

  • 水槽のガラスが存在しなかったことに気づく。

それにより:

  • 苦しみの根源である「自己中心的執着」が崩壊する。

  • でも、人格はそのまま残る(情報構造として)。

  • ゆえに、「悟ってもしゃべるし、笑うし、怒る」こともできる。

ただし、根本に「とらわれがない」というだけ。


まとめ:構造モデル


[自我]=[関係性の束]×[記憶/認知フィードバック]
→ 本質的には「空」であり、「固定実体」は存在しない。
→ しかし、「働き(作用)」として仮に現れる。

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